ゆるり民藝 ―東北に暮らして(28)

2016年4月19日(火) 河北新報 朝刊くらし面掲載

樺細工
山桜の風合い生かす

20年使用の樺メジャー。一つだけの表情を使い込む喜びがある

20年使用の樺メジャー。一つだけの表情を使い込む喜びがある

手仕事の良さを県内外に紹介する秋田県民藝協会の三浦正宏さんが愛用しているのが樺(かば)メジャーです。

「もう30年くらい、いつもかばんに入っていますよ。ポケットや布の筆入れで磨かれるのか、すごく光沢が出るよ。県外で使うと褒められるのであげてしまって、いま使っているものは1年ぐらいだけど」

東京の日本民藝館に長くお勤めだった女性の方も愛用されていたとのこと。手のひらに収まる5a四方の樺メジャーは、山桜の皮の表情が生かされたすっきりと無駄のない形です。

なぜ民藝の愛好者と縁があるかといえば、昭和17年にまでさかのぼります。東京の日本民藝館に樺細工の工人が招かれ、樺細工伝習会が行われました。

秋田県北の阿仁地方の修験者に始まるとされる樺細工は、江戸時代半ばに角館に伝わり、参勤交代で江戸に行く際の土産にもなりました。藩主の下で下級武士の内職となり、明治以降は問屋や工人の尽力により産業として定着します。

初代日本民藝館長であり民藝という言葉と価値観を生んだ柳宗悦は、樺細工を「日本の材料と日本の手技とから生まれた美しい仕事の一つ」と高く評価する一方で、花鳥など絵画的な模様を加えて自然の風合いを壊していることを憂い、工人と教え合う会を3年にわたって開いたのです。

伝習会に参加した工人に柳は「世界のどこへ行っても樹皮工芸でこれだけ立派な物は無いのだから、がんばりなさい」と声を掛け、工人は「非常に価値の高い仕事」に感じたといいます。

材料は、厳しい気候のやせた山で苦労して育った山桜ほど、皮が丈夫で色つやが良いのだそうです。樺メジャーを作る角館の藤木伝四郎商店でも「東北の桜皮に限っている」とのこと。貴重な皮を有効活用するため、先々代にあたる5代目が樺メジャーを作り始め、6代目も愛用されていたと聞きました。

小さいながら趣味のいい文具といった顔をしているので、お世話になった方への贈り物にすることがあります。節が生み出す表情を見比べ、贈る方の雰囲気に合わせて選ぶときがまた楽しいのです。贈った方から「フライフィッシングの釣り針を作る同僚が、すごく反応してね」と聞けば、良さを共有できたうれしさがあります。

日本の花、桜の時季は過ぎましたが、皮を採るのはこれから。7〜9月の汗ばむころです。







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