ゆるり民藝 ―東北に暮らして(44)

2017年8月15日(火) 河北新報 朝刊くらし面掲載

吹きガラス
ほっこり 感触柔らか

一つひとつ異なる吹きガラスを、カウンターから見るのも楽しい

一つひとつ異なる吹きガラスを、カウンターから見るのも楽しい

物事に精通した人ほど、声高に多くを語ることはありません。

ひょうひょうとした笑顔で「ハイよっ!」と旬の肴(さかな)とお酒を出す「なつかし屋」の種澤和五郎さんもその一人。食材のこと、釣りのこと、互いに関わりのあった定禅寺ストリートジャズフェスティバルのことも薀蓄(うんちく)とは無縁です。

ある夏の夜、ホッピーを頼むとスープカップのような手付きグラスに注がれてきました。眺め、手に抱え、口に触れるとほっこりしてきます。飾りといえば口に赤い縁取りのみですが、サワー系のお酒を頼んだ女性は決まって「わぁキレイ!」とつぶやくといいます。棚にはワイングラスやふた付き瓶など、40年ほど前から集めている吹きガラスが並んでいます。

「今でこそ吹きガラスをやっている人は多いけど、当時は見たことも使ったこともなかったよね」

東北では、奥州藤原氏の初代ごろから装飾品や数珠玉としてガラスがあり、江戸時代には仙台で曇りガラスのかんざしが、昭和前半には青森で漁具の浮き玉なども作られていました。

ですが、昭和40年代初めには「吹きガラスのコップなどは身近になかった」と民藝の品を扱う工芸店、光原社の及川紀一会長も振り返ります。

窯の火入れから仕上げまで一人で行う「スタジオガラス」の日本で第一人者が倉敷ガラスの小谷真三さんです。真三さんが盛岡に用意された専用工房で夏場に吹き始めたのが1978年。種澤さんが求め始めたのは、その後からです。

「手に持ったときや口にしたときの柔らかさ。ガラスなんだけど温かいっていうか。使うために作られているから丈夫だしね」

米寿を迎えた真三さんの後継者、栄次さんのガラスを「個性が違う2代にわたって使う楽しみもあるよね」と差し出す手付きも穏やかです。食器選びに「用い手の美的教養がはっきり反映され」と民藝の祖、柳宗悦が著した通り、棚の食器を見ることは書棚の本を見ることにも似て、伝わってくるものがあります。

店で吹きガラスに触れ、家で普段使いしていても、多くは語らず。壱弐参(いろは)横丁で今宵(こよい)も、吹きガラスの器をきんと冷やして盛るのは、彩りのよい夏野菜の揚げ浸しや銀鮭(ざけ)のマリネなど。おかわりしたくなる味は「健康で無駄がなく真面目で威張らない」が信条のガラスに通じています。







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