2014年10月21日(火) 河北新報 朝刊くらし面掲載
「また来てね、げんまん」
指切りしたお相手は、仙台芸妓(げいぎ)の富丸姐(ねえ)さん。小唄同好会の稽古を体験した後の、酒席でのことでした。芸歴60年を越えてなおかわいらしい富丸姐さんと、東京の神楽坂から教えに来られる春日とよ徳花師匠の洒脱(しゃだつ)さに引かれ稽古に通うようになりました。
会の縁で富丸姐さんの踊りを見たとき、指先まで物語るものがあり、ふっと笑顔を誘う艶があり、その姿は三春人形の舞い姿に重なるものがありました。
郡山市の集落「高柴デコ屋敷」に江戸時代から受け継がれる張り子の三春人形は、歌舞伎や浮世絵を題材にしたものが多くあります。扇がひらりと舞い、袖が翻り、バチで鼓を打つ三春人形が、どうして富丸姐さんの踊りに通じて見えたのか。
高柴デコ屋敷にある恵比寿屋の17代目橋本広司さんは歌舞伎を好み、能の幽玄さを感じ、何よりご自身が「ひょっとこ踊り」の名手でもあります。素養から生まれた人形かと思えば、「だいぶ迷ったな。描いていると上手になんだよ。技術は進んでも、心が出てこないんだよ」。その心とは何かと惑い、禅寺で座禅を組んだ日々を、この道50年を越える人が振り返ります。
民藝を通じて染織家の外村吉之介の話を聞いてつかんだのは、繰り返しの大切さです。
「毎日毎日繰り返す。昨日の繰り返しと今日の繰り返しは違うんだよ。繰り返しは、創造でもあるわけよね。意識しないで繰り返す方が、我が入んなくて自然にできてくんだよ」
三春人形に影響を与えた仙台の堤人形を受け継いで60年近い、つゝみ人形製造元の芳賀強さんも「10年、20年たっても、手に入れてよかったと思われる。どこか見る人の心をつかむことが大事な要素だと思う」と言います。
人形の作り手の言葉は、富丸姐さんの言葉にも重なります。14、15歳から藤間流の踊りと長唄の稽古を始め、鳴り物、小唄、常磐津と幅を広げ、さらには能も少々心得のある方いわく、「芸は、積み重ね。真面目に重ねていると自然と身に着いてくるんです。手ぶりだけではなく、そのものになりきる。物まねと何十年重ねた人とでは違って見えるだけ」。
道は異なっても、そこに日々の鍛錬が表れます。だからでしょうか。部屋に並んだ三春人形からは、おはやしの音さえ聞こえてきそうです。