ひとつ、またひとつ、と集めてきたもの。
手にしたのは、そこに作り手の想いが感じられたからです。
ふとしたときに眺め、ふれることで、
いつもと違う気分になれるもの。
そんな愛すべきものたちが、小さな幸せをとどけてくれます。







松川だるま

本郷だるま屋


 仙台で「だるま」といえば、絢爛とした松川だるまのこと。群青色が印象的なせいか、最近は、青いだるまとして全国に知られるようになりました。

 江戸後期に仙台藩の藩士であった松川豊之進が作ったのが最初とされ、それを弟子となった本郷九三郎が継ぎ、現在は10代目。本郷久孝さんと尚子さんご夫妻にあたります。

 170年近く作り続けていても、松川の名を律儀に守りとおしているところが、本郷だるま屋さん代々の気質なのでしょう。

 松川だるまを、はじめて間近で見たのは、先代の本郷けさのおばあちゃんがお元気だったころ。作業場でだるまに囲まれながら、嫁いでから継ぐまでのいきさつ、ご苦労など、明るく、ときにしんみり、気さくに語ってくださったものです。

 その苦労を知っているから、長男の久孝さんたち3人の息子さんは勤めに出て、休日に手伝う生活になりました。けさのさんの傍らで手伝っていたのが、お嫁さんの尚子さんたちです。

 ひげと目と口は男の人が描くならわしで、息子さんたちの役目。色づけや絵はお嫁さんたち。けさのさんは、だるまに和紙を貼る型貼りをしていました。

 それは、仙台藩時代から伝わる松で作られた木型に食用油を塗り、和紙を一枚ずつ貼りつけていく手仕事。仙台の柳生和紙(やなぎうわし)に、海草でつくった糊をつけて貼り、棒で均等にならしていきます。

 だるまの大きさは、3寸から3尺(約10センチから約90センチ)。お腹の浮き出しには、宝船、恵比寿、大黒などが描かれます。手元に置きたいと求めただるまは、小ぶりな4寸(約13センチ)。宝船や大黒さまよりも色づかいが抑えめの、恵比寿です。

 宝船、恵比寿、大黒、どれを買い求めるかは、それぞれの家によっても違うのだとか。その買い方も、年に一つずつ買い替えていく人、4寸ぐらいから順に大きなものをそろえて七転び八起きにちなんで8つ並べて飾る人など、さまざまです。

 仙台では毎年1月14日のどんと祭になると、神社の参道で売られます。戦前は、だるまの目はガラス玉でした。どんと祭の翌日には、焼け残ったガラス玉を拾うとご利益があるとされ、神棚に飾っておく人もいたといいます。

 ガラス玉は、いまでは粘土と墨に変わっています。それでも、両目に黒々と瞳が入っているのが、松川だるまらしいところ。子どもたちが健やかに育つように、四方八方をしっかりと見据えられるように、といわれています。

 まばゆいほどの色づかいや模様にもそれぞれ意味があり、顔のまわりを縁どる群青色は空と海を表し、散らされた金粉は伊達の武将好みともいわれます。尚子さんたちが「ポテポテ」と呼んでいる顔まわりの空色は、海老熨斗(えびのし)を表したものだそう。側面に描かれた梅は、「寿」の文字がアレンジされたものです。

 本郷だるま屋さんでは、1年を通してだるまが作られ、店先に天日干しされているだるまも見かけます。9代目のけさのさんは2008年春に亡くなられましたが、だるま作りは長男ご夫妻に受け継がれています。ご一家で作られるだるまの表情が、とてもいいのです。

 


INDEX

●ぐんじょういろ - 群青色
●あめいろ - 飴色
●しろ - 白

       


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