2014年11月18日(火) 河北新報 朝刊くらし面掲載
ふんわり軽く暖かいホームスパンを大叔母は50年以上前から愛用しています。「体をすっと受け止めてくれて、暑いときには風通しのよい部分がどこかにあって、寒いときには暖かく、着心地が全く違いますから」と何より素材の良さを気に入っているのです。
ホームスパンとは、羊毛を染め、手で糸を紡ぎ、手織りされた毛織物のこと。全国の生産量の約8割を岩手県産が占めるといわれています。明治時代に英国出身の宣教師が織り方を伝えたのが岩手のホームスパンの始まりとされ、国の奨励策もあって農家の副業として広まりました。
といっても、それほど身近なものではなかったらしく、盛岡市に暮らす大正15(1926)年生まれの大叔母がホームスパンを意識したのは昭和20年ごろ。盛岡を訪れた思想家の柳宗悦が身に着けていた上着と小さなマフラーだったといいます。
「英国にいらしたことがあり、これほどいいものはない、織物はホームスパンであると言われたと父から聞きました。マフラーは繕われていたけれど立派なもので」と繕い直された美しさも感じたようです。
柳の勧めによって昭和初期から、岩手出身の及川全三がホームスパンを美しく丈夫なものへ工夫を重ねていきます。柳が英国のホームスパンで仕立てた際の残り布などを見本に、及川は染色や図柄などの研究を重ね、弟子を育てます。その技術が現在いくつかの工房に受け継がれています。
羊毛を洗い、染め、すいて、糸を紡ぎ、織り、仕上げる織物は安価とはいえません。服地から仕上げたものとなると、大事にしまい込んでしまいがちです。
それが、大叔母は薄紅色の服地で姉妹おそろいの服をあつらえたり、姉から譲ってもらったり、楽しんでいたようなのです。残った布はベストやマフラーに。服地が足りないときは他の布と組み合わせていました。新しいうちはよそ行きに、数十年たったロングコートは半コートにと。ホームスパン工房の方によれば、裏返しや上下逆に仕立て直す人もいるとか。一度仕立てて終わりではなかったのです。
気に入った服地であつらえたものを着こなし、仕立て直して、また楽しむ。その手の掛け方を知ってから、大事にしていたホームスパンに袖を通す機会がぐっと増えてきました。