ひと手間かかっても、よい道具には行動を促し、習慣へと導く力があります。
5年前、友人たちからお櫃(ひつ)を贈られました。曲げわっぱに詰めたご飯がとてもおいしくなるので、同じ秋田杉のおひつをいつか欲しいと思っていたところでした。贈られたおひつは、短冊状の板で囲んだ桶(おけ)です。
「銅よりも竹のほうが好きだろうから」と友人の心遣いで、たがには青々とした真竹が使われていました。その竹を採る時季は、ちょうど今ごろ2、3月だと言います。お櫃を作る「樽冨(たるとみ)かまた」の鎌田康平さんによれば「成長が止まっている冬の時季は、竹が水分を吸っていないのでカビにならない」のだそうです。
ここ10年ほどは、土鍋でご飯を炊く人がお櫃にも目を向けるようになったと聞きました。そこまでこだわりはありませんが、台所にお櫃を置くだけでおいしいご飯が浮かんできます。
おいしくするのは200年もの年輪を重ねた秋田杉です。木目がまっすぐ並ぶ「柾(まさ)目」の桶は、水を通さない酒やみその醸造樽の「板目」と異なり、炊きたての水分を吸収し、呼吸するため、翌日までおいしさが続きます。使った後、たわしで洗う手間はかかりますが、柾目に沿ってゴシゴシ洗うとすがすがしい気分になってきます。
何かの本から、1日と15日に赤飯で健康を願い喜ぶ風習を知りました。月に1度、炊飯器で炊く簡単な作り方なら続けられそうと、お一日(ついたち)の赤飯を始めました。炊き上げた赤飯をお櫃に移すと、いっそうふっくらつやつやとして神々しいほどです。無事にひと月過ごせて、ありがとう。今月も元気で過ごす力を、ありがとう。そう思いながら、茶わんによそう毎月の節目が4年続きました。
昨年の2月、叔父が他界しました。赤飯の気分になりませんでした。「白ぶかし」という白ささげ豆を入れる不祝儀のおこわが宮城県にはありますが、月々に白ぶかしという気も起きず、そのままになってしまいました。
1年がたち、親族が集まった席は、叔父がいないのが不思議なくらい和やかでした。久々に赤飯を炊きたくなりました。お櫃のふたを開けると、そこには変わらず1粒1粒ふっくらとしてつやのある赤飯がありました。また、お一日の赤飯を始めよう。お櫃が背を押してくれました。