エアコンのない築50年の民家に暮らしているので、この時季はふすまを開いて風通しよくしています。
角度によっては、縁側から部屋が見えるのも落ち着かず、住み始めた5年前は、半間が隠れる幅広ストールを下げていました。透け感のある涼しげな木綿で気に入っていたのですが、行き来するとき上げたり寄せたり、出入りしづらいのです。何より困ったのが、風が通らず、扇風機を回しても部屋に熱がこもってしまうことでした。
もしかしたら、のれんが良いのでは? 家族がしまい込んでいたのれんを使うことにしました。のれんと言えば、温泉や店先と思っていましたが、部屋の間仕切りにしてみると、正面から出入りしやすく、ほどよく目隠しになって風もすーっと通ります。
昔ながらの形に隠れた知恵がと感心していましたが、その知恵に気付いている人は多いようで、市販はもちろん、インターネット通販でもインテリア用品として広く出回っています。
のれんがもつ役割からいえば、必要に応じた長さや幅があり、間仕切りになれば事足ります。ですが、使い始めると部屋を行き来するたびに感じるのです。素材の持つ風合いや図柄も大切なのだと。物が持つ力といえばよいでしょうか。作り手の方のことを詳しく知らなくても、伝わってくるものがあるのです。
しっかりとした天竺(てんじく)木綿に、くっきりと糸の跡が残っているのを見ると、ひと針ひと針、厚めの布に針を通し、くくっていく手が浮かびます。藍を建て、藍がめの液に浸し、ずっしりと重くなった布を、繰り返し浸す重労働によって生まれた濃淡に、感じ入ります。
「絞りは考えるものではなく、体から吐き出す仕事だ、頭から出すな、腹から出すのだ」と陶芸家の河井寛次郎から手仕事に携わる心構えを教わった父、片野元彦さんの仕事を受け継ぐ片野かほりさんの絞りです。河井は、民藝という価値を思想家の柳宗悦とともに見いだした人です。
美しさの基準にはさまざまありますが、民藝の第一義には、デザインとしての機能美でも、鑑賞する美でもなく、生活をしっかり支えるたくましさと自然への感謝を感じるのです。
日々、目に触れ、手に触れることで、物から教えられることがある。仙台の自然の暑さの中にいて、そう感じています。