最近うれしかった出来事を一つ。50年以上も前に作られた菓子櫃(びつ)でもてなしができたことです。
和菓子好きが高じて季節のお菓子について語り、お召し上がりいただく機会が増えてきました。先日は、大崎市の酒造会社一ノ蔵さん主催の女性限定の会席。二十数名の方々のお菓子を何に盛ろうかと考えていたとき「それなら菓子櫃は?」と思い付いたのは夫でした。家族が営む光原社仙台店の参考品として展示されている、ぼたんが描かれた菓子櫃のことです。
ガラス越しでしか見たことのなかった、ぼたんが一面に描かれたふたを開けてみると、内側はほとんど使われていない朱塗りでした。縦35a、横45aの楕円(だえん)の菓子櫃は、和菓子二十数個を並べるのに程よい大きさ。気になることといえば、和菓子を盛るには少々深いことです。
どのように使ったのだろう。ぼたん菓子櫃を収集する盛岡市の泉山恵一さんに教えていただきました。
「菓子櫃といってもお菓子ではなく、赤飯やお餅を入れて使っていたんです。嫁入り道具や子どもの誕生祝いとして」
盛岡や岩手県紫波町日詰地域で明治から昭和40年ごろまで、地主やお寺などに用いられたといいます。この菓子櫃について、民藝の祖、柳宗悦は『手仕事の日本』で「図のこなし方に大時代の風があって、近頃の小器用な弱々しいものとは雲泥の差」と評しています。
日本民藝館展の審査員を長く務める八戸出身の漆工職人、佐藤阡朗さんは「柳は民藝だから集めたのではなく、柳の眼で美しいと感じて集めたものが民藝だった。その美しさとは、生命力と愛情が加わってこその力強さ。漆に東北の力が加わると、こんなに力強いものが生まれるのかというほど」と風土と自然が持つ力を感じています。
その力をはっきりと知ったのは、先日の会席の場でした。杉のお櫃に黒漆が塗られ、色漆で描かれた菓子櫃は、カルチャースクールの会場には、一見不似合いに思えました。ですが、健やかで伸びやかな、よい波動を発する存在として、そこにありました。参加者の方々にスマートフォンで撮影された菓子櫃も、晴れがましかったことでしょう。
いまは何事もなかったように展示品に戻っていますが、布巾で拭いたことで漆に生気が。使ってこそ気が付く力強さ美しさ。それがまたうれしいところです。