つやつや新米に、ほくほく栗(くり)の季節です。鬼皮や渋皮むきはひと苦労でも、ほんのりした甘みと香りと食感を思えば、身も軽く動き始めます。
おひつから、登り窯で焼いた生成りがかった茶わんに栗ご飯をよそうと、幸せを感じる秋の食卓です。一膳で止まらずお代わりをして、食べ終えたらおひつに水を張ります。少しふやかしたところで、たわしを柾目(まさめ)に沿わせてゴシゴシ。洗い終えた後、熱湯を回し掛ければ自然と乾きやすく黒ずみを防ぎます。
道具が呼ぶ道具といいましょうか。たわしを使うようになったのは、おひつを使い始めてからです。その後は、土鍋もすり鉢もシャッシャッと洗剤を使わずお湯洗い。ごぼうの皮むきも、たわし頼みです。
使い始めはパームヤシの硬いたわしでしたが、棕櫚(しゅろ)のたわしに変わったのは、きっかけがありました。福島と新潟の県境で山ぶどうのかごを編む作り手の方から「たわしをかけると、けば立ちがなくなり、つやが出る」と教わったのです。
最近は、山ぶどうのつるのつやを出してから売り出されるかごもありますが、雪国で育った丈夫なつるで編まれたかごは、使い始めはけば立っています。使うことでつやが増し、かごを育てていけるところに大きな楽しみがあります。
かごを磨くなら使い心地のよいたわしにと、パームヤシ、化学繊維、サイザル麻など、さまざまある素材の中から棕櫚に決めました。栗皮色のような深い色味、密にそろった毛先、触れたときにちくちくする感じがなく、体を洗う人がいるというのもうなずける柔らかさです。
物を選ぶときは、見た目はもとより、触れた感覚から心が決まることも多く、棕櫚のたわしも持った瞬間「あ、これ!」でした。
ぶどうかごをたわしでこすると、色が深まり、内側からつやが浮き立ってくるようです。今のままの状態を保つというより、さらに美しさが増していくためのお手入れです。美しさは単独で成り立つのではなく、支えるものがあってこそ。
たとえば、棕櫚のたわしであり、漆器をきゅっきゅっと拭き上げる布巾であり、刃物を健やかにする砥石であり。用の品が、用の美をしっかりと支えています。
こんなに、つやが増してきた。こんなに滑らかになってきた。そんな気づきが楽しく、心も静かに整えられてくるようです。