白い器といえば、すぐに浮かぶのが白磁でしょう。陶石が原料の白磁ではなく、陶土を原料とする柔らかな白の粉引(こひき)が浮かんだとしたら焼き物好きか骨董(こっとう)に通じた方かもしれません。
今から500年ほど前、李氏朝鮮(李朝)の初め。白い器は貴重で、土に白化粧を施した器が焼かれました。白化粧が粉を引いたようになることから、粉引や粉吹(こふき)といわれます。その後、朝鮮半島では白磁が主流になりますが、日本に伝わった粉引は、使ううちに色合いが変わる様が茶人に愛されてきました。
現在は、日本や韓国でも焼かれています。全国の民藝好きに知られる粉引の作り手が、栃木県益子の石川雅一(はじめ)さんです。金沢から移築したという天井高のある古民家に、豪快な笑い声が響きます。
「これは相当ですね」
巣立った酒杯を見るのは7年ぶり。手に軽く収まる杯は白から象牙色に変わり、ぽつぽつと雨漏り状の染みが出ています。
「形にするのは僕だけど、すっかりその人のものなんだよね。景色が出て、また良くなっているよね。その人がどういう思いで使っているか、見ると分かるの。このとろんとした感じは、そう簡単にはならない」
お見立て通り、わが家の粉引はあるじである夫に似て上戸です。何かの拍子に割れてしまったのですが、手放すのも惜しいと、かけらを集め、漆で継いで使い続けています。
「ジーンズも経年変化が楽しいじゃない。あれと一緒。ボロボロになっても、なお良くなるみたいな。時間がここに詰まっている。それが粉引独特」
アフリカの椅子や仮面などプリミティブな野趣にあふれる居間の様子からは想像し難い、悩み多き青年だったといいます。理想とのギャップ、もどかしさ、内省の日々…。
「民藝によって救われたところがあるよね。柳宗悦も濱田(庄司)先生も芹沢(C介)先生も、こんなに美しいものが世界にあることを教えてくれたわけじゃない。すごいと思ったね」
粉引をライフワークにして約30年。作り手と使い手という違いはあっても、こうして育ってきた杯を前に喜び合えるのは、なんとも幸せです。 そしてまた一つ、登り窯で焼かれた杯が新たに加わりました。そういえば、漬けた梅酒が飲み頃。この杯は梅酒で育ててみようか。夫のみならず、上戸に磨きがかかりそうです。