「父のネクタイは、針仕事の好きな姉が毛糸で刺したこぎん刺しでした」
青森市出身で青森県民藝協会会員の奥角貞子さん(岩沼市)のこぎん刺しにまつわる思い出は、小学生のころにさかのぼります。
奥角さん自身も高校3年の夏休みの宿題に、着物のセカンドバッグを作りました。
「その時が最初で最後。全然興味なくて」
それでも、40年以上前に刺した図柄が「紗綾形(さやがた)と猫のまなぐ(目)」という伝統の基礎模様だったことをしっかりと覚えています。
江戸後期に始まったとされる津軽こぎん刺しは今も、青森市や弘前市などの小中学校で教えられています。小学校の総合学習で習ったという弘前市の男性が作ったのは「紺地に白糸のコースター」。こぎん刺しの基の色調である、藍染めの麻布に白い木綿糸で織り目に沿って刺したものです。
綿の栽培が困難だった青森では、倹約令により農民は木綿の着用が禁じられました。雪国の寒さから身を守るために生まれたのが、麻布の補強と保温を兼ねたこぎん刺しです。
縦糸の奇数目を拾っていく技法は、海外では機械織りに思われたこともあったとか。弘前こぎん研究所の成田貞治さんは「フランスのバイヤーが『織物だろう』と言うから、手刺ししている場面を見せたら、『ソーリー』となった」と胸を張ります。
織物の場合、こぎん模様であったとしても、1枚の布。こぎん刺しは布地に木綿糸を刺すため、二重になり丈夫です。美しいこぎんに着眼した思想家の柳宗悦は、布目を「はずせばもう『こぎん』ではなくただの刺繍(ししゅう)」と捉えました。
織物でも、刺繍でもなく、運針のように自由に縫う刺し子とも違う、青森独特の技法です。青森の地に生まれたこぎん刺しに奥角さんが心引かれるようになったのは、高校よりずっと後のこと。
「たまたま近所の家で、こぎんのついたてを見てドキンとしちゃって。こぎん刺しの帯を見たら、ひと目ぼれ」
こぎん好きは全国に広がり、先日、仙台・秋保で行われた日本民藝夏期学校でも、岡山市の若い女性が柿渋色の布に白糸を刺したショルダーを持っていました。15年ほど前、「デザインと色合いがとてもすてき」と直感で選び、最近は「くるみボタンをブローチにすると、オリジナルのファッションになる」と楽しんでいます。
布目の縦糸が導く端正な模様と手刺しの風合い。長く大切に使い続けたくなる理由が、そこにあります。