知識から入らず、まず見ること。見るだけではなく、使うこと。民藝を愛好する人たちに共有されている思いです。
仙台市若林区の恵美さんとは、民藝を縁に出会いました。お宅を訪ねると、玄関には秋田のイタヤ馬や、焼き物が飾られています。心に決めたものを探し歩き、家族4人の生活に取り入れてきました。
それらは、毎日のように使うものと、眺めて楽しむものに大別されると恵美さんは言います。
「使ってみたら手になじまなかったとか、うまく使いこなせなかったとかで、自然とそうなってきました」
その中で、「見るもの」から「毎日使うもの」に変わったものがあります。登り窯で焼かれた睡蓮鉢(すいれんばち)です。きっかけは、東日本大震災でした。恵美さんが住んでいる地域は断水にはなりませんでしたが、祖父母の地域では水道が止まりました。
「あのとき、水を無駄にするのが嫌で、お風呂の残り水をくみためるようにしたんです。ポリタンクよりはと睡蓮鉢にしました。それがとても便利だったのです」と恵美さんは振り返ります。
その後は、庭で水がめとして使うようになりました。喜んだのが、園児だった恵美さんの次女です。小さなひしゃくに水をすくって地面にお絵描きをしたり、土遊びをしたり。
「水道と違っておしまいが見えるので、水の量を加減しながら使っていたみたいです」
普段の暮らしに水がめが根を下ろしていきました。
「粗末に扱えば割れてしまいます。でも、大事に使えば手にも暮らしにもなじみ、美しさを添えてくれます」
2人の娘さんが、そのことを感じてくれればという思いもあります。
恵美さんの睡蓮鉢の話を、わが家でしていると、夫が「そういえば、家にもあった」。40年以上前のことが、ふと思い出されたようでした。夫の父が幼い息子の手を引いて釣りに出かけ、釣った魚を睡蓮鉢に泳がせてくれたそうです。夫は今、自分の店先で睡蓮鉢に金魚を育てています。日差しが強くなれば、青葉を浮かべて金魚たちの日陰をつくってあげます。
恵美さんの次女は小学4年生になり、睡蓮鉢の水で遊ぶことはなくなりました。ですが、本人も意識していない日常のひとかけらが、いつか芽を出すかもしれません。
「平常使いこそ心を用いたい」
民藝の父、柳宗悦の言葉の意味は、そこにもありそうです。